子どもたちの未来は高松の希望。
高松市立香南小学校の校歌には、香南台地には無い「海」が出てきます。
「明るく遠い 瀬戸の海 流れて続く 太平洋 ふくらめよ夢 大きくと 伸びる香南小学校 日本の明日が待っている」(3番)
子どもたちの未来の可能性を、瀬戸内海から太平洋へと続く広い大きな海にたとえ、さらに「日本」という視点に立つ、非常に壮大な歌詞になっています。
各地域の学校では、その地域の夢や願いを次の世代、また次の世代へと継承して、さらに発展させて欲しい、と校歌が創られ、歌い継がれてきました。
高松の未来を担う子どもたちのために、今を生きる私たちが、何を伝え、何を残し、何を託すのかが問われています。
歴史から大切なことを学ぶとともに、郷土にも、そこに生きる自分自身にも誇りを持つ高松。
子どもから大人まで、どの地域の人たちも、誰もが夢を持ち、明るい未来を語る高松。
人と人がつながり、新しいアイデアが生まれ、あちらこちらで新しい試みが実行されていく高松。
そんな高松市を実現させて、次の世代の子どもたちへつないでいきませんか。
高松市議会議員 辻 正彦
「なんちゃ ない」ことはない
「まんでがん ある」高松
人と人がつながって
新しい高松を創る
- いろんなモノ・いろんなコト・いろんなヒトがそろう高松
- 市民は、好奇心と創造性と可能性に満ちています
- 目指すのは、世界にひとつだけ、オンリーワンの高松市
- いちばん大切なのは、人と人がつながること
高松にいま必要なこと
徹底的な子育て・教育支援
女性が一生のうちに出産する子どもの数の目安、合計特殊出生率が低い、つまり第二子が育てづらいのは大都市です。比較的合計特殊出生率が高い地方都市の高松市は「子育て」に向いていると言えます。
しかし、兵庫県明石市のような大都市のベッドタウンという好条件の地方都市はレアケースですし、また岡山県奈義町くらいの規模になると出生率は高くても出生数には反映されません。私たち高松市のチャレンジこそ、他の多くの地方都市の未来につながります。
子育て支援・教育支援に特化した施策の展開で、行き詰まり感を安心感、幸福感に変えて、都市計画や産業育成、地域コミュニティから福祉まで、どの分野にも明るい材料が出てくる高松にしませんか。
検証で危機管理体制を整備
学校への休校要請にはじまり、緊急事態宣言やさまざまな時短要請など、3年間のコロナ禍で色々な新型コロナウイルス感染症対策がありましたが、高松市レベルでも可能な範囲での検証作業は必要です。
というのも、全国的な規模で緊急事態が発生した時には、各都道府県あるいは市町村ごとに対応が委ねられるケースがある事、また国の方針が決まるまでには時間差がある事が分かったからです。危機発生時に何とか持ちこたえられる高松市にしなけれなりません。
また、若いから大丈夫と思いがちな子どもたちや学生、そしてひとり親家庭が意外に取り残されがちでした。きめ細やかなセーフティーネットづくりが、危機管理体制をさらに整えることになります。
高松市民である事の誇り
明治時代に誕生した高松市の課題は、愛媛や徳島に合併された讃岐国を香川県として独立させ、県都としての立ち位置を確立した上で、市の発展を図ることでした。高松藩の名誉や失った天守よりも、香川県の維持と、城下町だけになった市の振興が最優先になりました。
しかし、繁栄した市街は先の大戦で焼失し、戦後は新たな都市計画が着実に進む反面、やはり過去が顧みられることはありませんでした。
世界が注目している今、また高松の子どもたちの自己肯定感が低い中で、高松とはどんなまちで、そこに住む市民はこんな人たちだ、という自己認識が問われています。
私たちのまち、本当の高松を知るところから始めませんか。
高松の現在
総合計画の策定
令和6年度から8年間という長期間、市政の基本方針となる第7次高松市総合計画を決める大事な年度を迎えます、市の歴史を踏まえつつ、新たな課題に的確に対応する計画を作ります。
池田県政開始
高松市出身で国土交通省OBの池田知事は、香川県が『誰もが住みたい県』となって人口減少を抑える方針です。高松市とも連携を強めて、いよいよ県と市とが一体となって動き始めます。
2025年度問題
関西万博と並行して瀬戸内国際芸術祭が開催、高松駅ビルや県立体育館、徳島文理大学高松駅キャンパス、マンダリンホテルも完成した時の、ひとの動きに対するビジョンが必要です。
辻まさひこ
経歴
1968 | 高松赤十字病院で誕生 |
1975 | 屋島教会幼稚園卒園 |
1979 | 高松市立屋島小学校から香南町立香南小学校へ転校 |
1984 | 香南町立香川中学校卒業(その後香南中学校に名称変更) |
1987 | 香川県立高松高等学校卒業(旧校舎時代) |
1992 | 早稲田大学教育学部国語国文学科卒業 |
1993 | 株式会社資生堂 沖縄販売株式会社退職 |
医学部再受験するも失敗 | |
沖縄県の専門学校講師 | |
高松市立亀阜小学校講師 | |
学童保育 みんなのじゅく(旧称 志学塾)開始、家庭教育支援 | |
並行して特別支援教育支援員として高松第一中、鶴尾中で勤務 | |
香川県教育委員会義務教育課スクールサポートチームとして各中学に派遣 | |
2019 | 高松市議会議員選挙で初当選 |